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第六回戦闘機会の記

大村 哲哉 

 第六回戦闘機会が桜花満開の四月六・七日滋賀県大津市で行われた。幹事は関西在住の中西健造、石井 晃、大村哲哉。但し私大村は幹事ではなく「閑」 の字がふさわしいカンジ、すべてを取り仕切ってくれた地元中西、当夜大活躍の石井のお二人に申しわけないと思っている。

 生き残った空の猛暑も近年ばたばたと鬼門に入り、また体調をくずして参加できぬ人も多くなった。今回は御遺族の粕谷仁司君の令弟ご夫妻・河野俊通君ご夫人・山田三郎君の令兄、また大津空で三座水偵教官として活躍した市瀬文人、水偵偵察で地元の宇野俊夫の皆さんが特別参加して下さった。

 会場ロイヤルホテル雄山荘には、年をとっても、さすがネービー、定刻前に余裕をもって全員到着、予定通りの進行となった。

 懇親会は、クラス一の司会者石井の名司会で、年季の入った村瀬の舞踊にはじまり、全員が或は自慢の喉を聞かせ、或は思いを語り、近年多数の友を失ったとはいえ、生き残った戦闘機会会員の意気を示す盛りあがり、最後は無垢の時に帰ろうと、巡航節・兵学校三勇士の歌でしめくくった。

二次会も部屋に帰り、夜の更けるのも知らず深更まで話がはずんだ。特に粕谷衛さんの仁司君の思い出は、休暇で帰っても目立つのを好まず、制服を風呂敷に包んで帰り制服で歩くことはなかったとか、彼らしいといえば彼らしいが、はじめて聞く粕谷の人となりであった。山田といい、粕谷といい、五十余年たってなおこのように残る兄弟の思い、短かったがすばらしい人生であったとの思いが強ヽ。

翌七日、大津自衛隊見学(大津空跡地)

 ここは自衛隊の新入隊員の教育部隊で、全国三教育部隊の一つ。但し女子隊員の教育はここのみ。最近は自衛隊も狭き門で、高卒者も簡単には入れぬとか。四月入隊隊員の教育が行われていた。

 ビデオを見たが、女子隊員も全く変らぬ訓練、ただ化粧の講習があったのはほほえましい。三ケ月の教育を終え、それぞれの任地へ出発する時涙する隊員が多かった。前夜の三勇士の歌を思い、我々の卒業時と変らぬ若者の姿を見て、「今の若い者は」とばかり言えぬ思いがした。

大津空資料館では、ここで特攻隊員も送った市瀬には格別の思いがあった様子。一時間程の見学ではあったが、隊員の気質も変わってきたと見受けられた。

天智天皇をお祀りする近江神宮、紫式部ゆかりの石山寺の参拝をすませ、お別れ会場瀬田唐橋のたもと瀬田川中之島の「あみ定」へ。

美人女将は中西幹事長男夫人の同級生。何から何まで中西の世話になり楽しく昼食をとりながら、体調不調の不参加老も多く、また最も元気であった藤田昇君の急逝を教訓にお互いに健康に気をつけ、次期幹事に相沢君を選び再会を約した。

 出席者名簿

 生存者

相沢善三郎・阿久根正・飯野伴七・市瀬文人・宇野俊夫・岡本俊章・新庄 浩・林 藤太・宝納徳一・松山 資・村瀬信義・森園良巳・石井 晃・中西健造・中西英子・大村哲哉

 御遺族

粕谷 衛・御令室・河野恵津子・山田一夫