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祭 文

高柳 行雄

謹んで海軍兵学校第七十二期、海軍機関学校第五十三期、海軍経理学校第三十三期の靖國に在します諸兄の御霊に申し上げます。

新緑に映える靖国の社頭に、我等なにわ会員一同、諸兄のご遺族と共に相集い、深く深く頭を垂れ、昔日の諸兄のご英姿を偲べば、懐旧の念切なるものが有ります。

 思い起せば諸兄と共に我等が、江田島に、舞鶴に、築地に、大いなる期待と栄光を胸に、海軍への第一歩を踏み出したのは、今を去る五十四年前、昭和十五年十二月のことであり

ました。爾来三春秋、祖国の盾となるべく、文字通り寝食を共にし、朝に夕に、心身の鍛練と学術の研蹟に、精励の時を重ねる事が出来ましたのは、生涯に於ける掛け替えのない

最も栄ある又輝かしき青春の日々でありました。

然るにその間、未曾有の太平洋戦争に突入、緒戦の優勢も空しく、一年余りにして守勢に甘んじる戦況となり、諸兄並びに我等が業を終へ、勇躍第一線に赴いたのは、丁度その様な昭和十八年秋のことでありました。その後戦局は日増しに激烈さを加え、遂に我が本土さえ危殆に瀕し、次いでソビエト連邦の参戦と原爆投下に見舞われ、やがて戦争終結の止むなきに至ったのでありました。

諸兄はこの戦争中の最も苦しい時に、態勢挽回を因るべく日夜奮励努力、力の限り奮戦し、あたら短き人生を青春のまま駆け抜け、空に海に散華し、我等と幽明を分かつ事となったのであります。人間生を受けて滅せざる者無しとは言いながら、余りにも短き人生を急ぎ終られた事を思いますと、真に痛恨悲痛の極みと言わねばなりません。ましてや如何に祖国の為とは申せ、前途輝やかしき諸兄を亡くされたご遺族のご心情如何ばかりの事であったか、到底ご推察申し上げるも余りあり又何の言葉もありません。

 今年は戦争終結五十周年を迎える事になりました。関係各国に於いては、夫々の思い入れに拠る行事が催され、今更ながら戦争及びそれに付随した人間の営みに対しての、批判や反省が世論を沸き立たせて居ります。諸兄と共に時代を生きた我等の胸に貫くものは、祖国日本の国土と民族の、永遠なる繁栄への願いであります。若し当時連合国側の意に屈し奮起せざれば、大和民族は益々軽んじられ、そのまま抹殺されて居たのかも知れません。我が民族の意地を全世界に示した事は、日本の存在佃値を厳然と世界に高めたものでありあの戦争が、また諸兄の尊い命が決して無駄ではなく、此の五十年の間に、日本が豊に再建され、世界屈指の豊かさを誇る国として生まれ変る事が出来ましたのは、ひとえに諸兄の尊い礎があったればこそと、深く感謝せずには居られません。

 今年に入り、阪神大震災、円高、貿易摩擦その他、矢つぎ早やに我が国民生活を脅かす天災、人災の発生を見、久しく平和を享受して来た我が国の前途に暗雲を齎すらす事となったのは、当面の政治不信と相俟って誠に憂慮すべき事態でありますが、些かの平和に慣れ、経済、物流の隆盛のみに心を奪われた国民への警鐘かも知れません。諸兄の尊い礎により

勝ち得た我が国永遠の平和を守るべく、人生残り多いとは言へない我等には、もう多くの力を尽くす余地はあるまいと思いますが、我等は栄ある海軍生徒出身者としての誇りを持って、些かなりとも世の為人の為、力の限り奮励する所存であります。

遠い昔日の諸兄の若々しい面影を偲びつつここにご冥福をお祈り申し上げますと共に、ご遺族の方々が何時までもお健やかに、又幸多く恙無く日々を過される様見守って戴きたいと思います。

平成七年六月四日

     なにわ会代表 高柳 行雄