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祭     文

 野崎 貞雄

謹んで靖國に在します英霊に申し上げます。

本日、ご遺族、教官、及び我々生存者一同緑漉き此の社に集い、参拝クラス会を開催しました。拝殿に額づき兄等の在りし日の諷爽たる雄姿を今静かに思い浮べて居ります。

 今年は昭和の年号で言えば昭和六十九年です。半世紀五十年をタイムスリップすると昭和十九年です。我々は前年の昭和十八年、江田島、舞鶴、築地の各母校を巣立ち、眦を決して連合艦隊各艦或は航空隊へと散って行きました。

 柱島、トラック或は、リンガ等各泊地に於ける日夜を分たぬ猛訓練はすさまじいものでありました。

 そして正に今月この六月、米軍はサイパンに来襲「あ号作戦決戦発動」が下令され、連合艦隊は総力を挙げてマリアナ海域へ突進致しました。然し、戦運我に利あらず、我が軍は多大の損害を蒙り、作戦目的を達成出来ずして、沖縄の中城湾へ退きました。

 そして十月には、「捷一号作戦発動」が下令され、事実上帝国連合艦隊としての最後の決戦となりました。此の時期、航空機、潜水艦関係へ進んだ諸兄も猛訓練を終え実戦に参加しましたが、勇戦奮闘も空しくその多くが護国の鬼となられ終戦を迎えました。

軍艦旗翩翻と翻り威風堂々四海を圧した連合艦隊のもうどう、そして爆音轟々銀翼つらねた海鷲群、今も我々の脳裏に焼きついて離れません。

日本帝国海軍敗れたりとは云え、その栄光は兄等の死をも恐れぬ獅子奮迅の敢闘により、燦然と光輝を放って居ります。我々はこの栄光に満ちた日本帝国海軍の一員として、そし

て又その栄光に一段の輝きを添えた兄等のクラスメートであったことに、無上の誇りを覚えるものであります。

 今や我が国は自他共に認める経済大国となり、その復興と繁栄は奇跡とも云われ、世界各国から高い評価を得て居ります。これは戦後国民各層の努力もさることながら、偏に兄等の至高至純の献身を礎として始めて成し遂げられた成果であり、唯々感謝の極みであります。

今や米ソの冷戦構造は解消し軍事的緊張は薄らいだかの様に思われがちでありますが、地域的紛争は続発し、我が国周辺に於いても安全保障上大きな懸念を抱かざるを得ない況であります。一方米国始め各国との経済摩擦は深刻の度を加えて居ります。国連中心外交を標榜しながら有事立法も進まず、国家としての危機管理能力は無きに等しく、誠に憂慮に堪えません。我々も齢古稀を超え兄等に再会するのもそう遠いことではありません。我々は徒手空拳社会的な力はありませんが、これからの余生は兄等の精神を心の糧として微力乍らも国家社会に貢献して行きたいと念願して居ります。

本年十一月には江田島母校に於いて遺族と共に慰霊クラス会を開くべく着々準備中あります。舞鶴、築地に於いても夫々計画が進行中です。兄等も此の社より出て母校の庭にお集まり下さい。

 日本の安泰と平和を祈りつつ、一命を捧げられた諸兄等英霊の冥福を祈り祭文とします。

平成六年六月五日

       なにわ会代表 野崎 貞雄