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七、「あ」号作戦について

辻本 毅

 戦勢漸く急迫を告げる昭和十九年三月一日、第一機動艦隊が編成せられ、長官は小沢中将、旗艦は大鳳であった。私は第三艦隊参謀から引続いて第一機動艦隊参謀兼第三艦隊参謀として同艦隊が解散した昭和十九年十一月十四日まで小沢長官の下で勤務した。その間に生起した「あ」号作戦期間中のマリアナ沖海戦について述べたい。 

「あ」号作戦の目的は帝国海軍の総力を集中して中部太平洋方面に来攻する敵艦隊を遨撃、之を覆滅、その反攻企図を撃破し以てわが頽勢を一挙に挽回することにあった。而して参加兵力は第一機動艦隊及び第一航空艦隊を中核として第六艦隊、中部太平洋方面艦隊、北東方面艦隊、南東方面艦隊、南西方面艦隊の全部又は一部が参加した。又陸軍も全面的に協力した。

この作戦期間中昭和十九年六月十九日、二十日の両日マリアナ西方海面で日米両艦隊の決戦が行われたのである。わが海軍は機動部隊の全力を投入し、敵は太平洋艦隊の中核である第五十八任務部隊の全力が参加した大平洋戦争中最大の海戦であった。これがマリアナ沖海戦である。

以下本海戦の経過を述べる。わが機動部隊(第二艦隊、第三艦隊基幹)は五月十六日までにタウイタウイに進出完了、六月十三日ギマラスに向け同地を出航した。同日聯合艦隊司令長官より「あ」号作戦決戦用意の発令あり、十四日ギマラス着、急速補給を完了した。

同日聯合艦隊司令長官より、決戦発動が下令された。機動部隊は同日ギマラス発サンベルナルジノ海峡を通過し予定地点に向け進出した。

当時敵潜水艦は我が機動部隊の行動を既に察知していた模様である。十七日夕刻機動部隊は補給を行ない、いよいよ決戦海面へ進撃を開始し、同日第一機動艦隊司令長官は全軍に対し「機動部隊は今より進撃敵を索め之を撃滅せんとす。天佑を確信し各員奮励努力せよ」と信号した。なお、六月十七日陛下より「この度の作戦は国家の輿隆に関する重大なるものなれば日本海海戦の如き立派なる戦果を挙げる様作戦部隊の奮起を望む」との御言葉があった。

六月十八日の状況、早朝より索敵機による二段索敵を実施、索敵機は東方約四百浬に敵機動部隊三群が西行しつつあるのを発見した。

(米軍資料によればこの敵は空母群四、戦艦群一、計五群である)

機動部隊指揮官は本日の飛行機攻撃は不適当(飛行機隊を陸上基地に移動せしめることを前提としなければ攻撃出来ない)と認め、翌十九日全軍を挙げて決戦な行うことに決した。二○○○前衛を分離して航空戦配備とした。会敵時、第一機動艦隊の航空兵力は下表の通りである。

一航戦   二航戦   三航戦    計

零 戦   九一    八○    六三   二三四

九九艦爆  九    二九     ○    三八

彗 星   七○    一一     ○    八一

天 山   四四    一五     九    六八

九七艦攻   ○     ○    一八    一八

計    二一四   一三五    九○  四三九

六月十九日の状況

機動部隊は本隊と前衛の距離を約一〇〇浬に保ち、○三三○より索敵機による三段索敵を実施、索敵機は○六三○以後相次いで敵機動部隊三群を発見した。敵との間合は前衛約三〇〇浬、本隊約三八〇浬である。機動部隊本隊は敵の攻撃圏外からの先制攻撃いわゆるアウトレンジ戦法をとるため一時反転し彼我の態勢は我にとり註文通り理想的の形となった。第一次攻撃隊は次の通り発進した。

一航戦  天山 二九  彗星 五三  零戦 四八    ○七四五発進

二航戦  戦爆二五 天山 七  零戦 一七         ○九○○発進

三航戦  戦爆四三  天山 七 零戦 一四      ○七二五発進

第一次攻撃隊進発 途中〇八〇〇頃と思うが旗艦大鳳の発甲板を飛び立ったばかりの彗星一機は急に機首を落して右前方海面に突込んだ。艦橋では「アッ墜落か」「いや何かある」と云っている時、見張員が「右前方近距離雷跡」と叫んだ。大鳳は緊急転舵して回避したが及ばず〇八一○右舷に魚雷一本が命中した(米軍資料によれば敵潜水艦はアルバコーア) 私は艦橋にいたが、魚雷命中時艦、全体が軽く震動した丈で何事もない様であった。長官は「この艦は強いな!」と一言言われた。大鳳では勿論防水、ガス検知等の応急作業が行なわれた。旗艦はそのまま作戦を続行した。さきの自爆した彗星一機は発艦直後大鳳の至近距離に敵潜望鏡を発見して大鳳危しと見て突嗟に敵潜望鏡に体当したものである。自己を犠牲にして大鳳を危険より救わんとしたのである。私は後日この彗星の搭乗員を調査してその崇高なる精神を顕彰したいと思ってこのことをノートに記録しておいた。搭乗員は兵曹長小松咲雄である。

第二次攻撃隊は次の通り発進した。

一航戦  天山 四  戦爆 一○  零戦 四       一○二〇発進

二航戦  天山 三  艦爆 二七  零戦 二○    一○一五発進

仝 上  彗星 九  零戦 六                      一○三○発進

三航戦   実施せず

一航戦攻撃隊は敵を発見出来ず、二航戦攻撃隊は、一群は敵を攻撃したが戦果不明。他の一群は敵を発見出来ず。その後、攻撃隊の発進も終ったので長官以下幕僚は作戦室に下っていた。攻撃隊発進時の彼我の態勢は我にとって最良理想的の所謂アウトレンジ戦法をとったものであったから必ずや立派な戦果を挙げるであろう、挙げて欲しいものであると祈りつつ、経過時間から見て戦果報告を今か今かと待って居ったのである。処がなかなか報告が入らない。もう少し、もう少しと待ったが二、三の報告、それも効果不明とか不確実とか云うものしかなく、なお、相当の戦果があったと信じつつもとうとうこれはおかしいぞ何かあったのではないかと考えざるを得なかった。

長官以下一同は本日の攻撃で敵艦隊をやっつけて我が頽勢を一挙に挽回したい、又それは可能である。この為に今日迄死力を尽くして猛訓練をして来たのではないか。だが、遂に事は成らなかったのかと一同嘆息して声もなかった。この作戦に絶大なる期待をかけていた聯合艦隊、大本営又陸軍もいか程か落胆している事であろう。

嗚呼、天は又しても我に組しなかったか。其の後帰還した飛行機の報告その他諸情報を綜合して判ったことは、敵は我が攻撃を予知して戦斗機で徹底的に阻止すべく戦斗機群を空母群を中心に数段に配備して優秀なる電波兵器を使用、所要地点に誘導集中してわが攻撃隊に挑んだのである。わが攻撃機の多くは敵戦斗機に阻まれ目的の空母上空に達したものは極めて少数であった。従って戦果も亦極めて不十分であった。二航戦攻撃隊は遂に敵を見ず帰投している。攻撃を終了した飛行機は、一部は母艦に帰投したが陸上基地に着陸したものも相当あった。私は作戦室横の外舷手摺の所で一寸まどろんで居った所(一四三〇頃)突然「ドカン」と云う大音響で覚まされた。又魚雷を食ったかなと思って急いで作戦室に飛び込んで見ると棚の書物は飛び散り、卓上の扇風機は吹っ飛んでいる。急いで飛行甲板に出て見るとこれは何と云う惨状であろう。重装甲の飛行甲板が片舷にめくれ上っている。艦内の揮発油ガスの爆発である。合戦準備の為艦内の各隔壁昇降口を密閉していたので非常な圧力で爆発したのである。既に飛行甲板の所々に火を噴いており機銃々座附近その他あちらこちら多数火傷を負った兵員がうごめいて居り、艦内通路には多数の死傷者が充ちて目も当てられぬ。爆風の為吹き飛ばされ、海中に落ちたものも多数あった様である。艦内の消火、応急作業の号令が次から次へかかり艦の力は落ちてきた。司令部としてはこのままでは到底作戦指揮が出釆ないので旗艦を変更することになり大鳳は停止し駆逐艦が附近敵潜水艦を警戒する中を長官以下幕僚はカッターで若月に更に羽黒に移乗し作戦指揮を続行した。

大鳳は消火並びに応急処置に全力を尽したが、爆弾魚雷次々に誘爆し火災が広がり遂に一六二八沈没した。大鳳は日本海車の造艦技術の粋を尽して建造されたもので昭和十九年三月七日竣工、主要要目左の通り、

総屯数三四,二○○屯、水線の長さ二五三米、速力三三,三節、搭載機数八一機、

特に飛行甲板の防禦力の強化を図り、その発着甲板は二五〇キロ爆弾ならば十分堪えられる装甲をもっていた。また、翔鶴は一一二〇敵潜水艦(ガバアラ)の雷撃を受け(四本命中)火災となり一四二〇沈没した。

旗艦変更後通信能力不備の為通信の円滑を欠き、麾下各戦隊の残存兵力の把握がおくれ、又、敵及び友軍の状況不明であり作戦指揮は困難であった。艦隊は兵力の整理を行う要を認め一時西方に避退補給の上、二十二日を期し基地航空兵力と呼応し再決戦を行なうことに決意した。

六月二十日の状況

 一二〇〇旗艦を瑞鶴に変更、各隊は補給を実施した。この間敵信傍受により敵大型機が我に触接している状況が判明し、敵機動部隊の一部が我を追尾していると判断、各隊は薄暮魚雷攻撃を企図し同時に遊撃部隊に対し夜戦を下令した。雷撃隊(天山八、彗星二, 一七二五発進)は予想地点に達し附近を捜索したが、敵を見ず帰還している。艦隊は雷撃隊の発進直後、一七三〇頃より約一時間に亘り敵機の攻撃を受け、一航戦に約五〇機、二航戦に約四○機、三航戦に数十機来襲した。我は之を遨撃したが飛鷹は敵の雷撃を受け沈没した。遊撃部隊もまた敵情不明の為遂に夜戦を断念するに至った。戦斗後機動部隊は敵より離脱、後図を策するに決し、二十二日中城湾に入泊した。

なお、敵側資料によれば

() 我が機動部隊がサンベルナルジノ海峡から外海へ出撃したことは敵潜水艦フライング・フイッシュが発見報告している。

() 敵は我が攻撃隊の近接をレーダーで捕捉し、空母の外側一五〇浬の所に戦斗機四五〇機を集中我を遨撃した。

() 敵戦斗機はVT信管(近接作動信管)を使用している。

この海域に於いて我が機動部隊は空母三隻と搭載機及び搭乗員の大部を消耗し機動部隊としての戦力をほとんど喪失した。又海軍の潜水部隊は十八隻未帰還となるなど我海軍は爾後戦略的に著しく不利な状況となった。

七月六日には遂にサイパン島が失陥した。帝国海軍が多大の期待をかけた更には海軍の命運をかけた「あ」号作戦はマリアナ沖海戦の失敗と共に遂に終りを告げた。

(資料は防衛研究所戦史室著「マリアナ沖海戦」に拠った)

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