TOPへ 

100号

 

なにわ会により知り得た深井中尉の事

深井 紳一(良の甥) 

 

 

2008クラス会.JPG

 

伯父深井良について調べ始めたのは、遅きに失した6年前の2002年の事だった。自分の怠慢のせいで伯父を良く知る人々、知る事のできた数々の事実を失い慙愧に堪えない。伯父の在学した横須賀中学(現横須賀高校)のインターネット掲示板から海軍予備学生となった同級生篠原茂雄氏と巡り会い、なにわ会伊藤正敬氏をご紹介頂いた。伊藤氏を糸口に、ほとんど何も分からなかった特攻死した伯父の像が次第に霞の中から現われてきた。

個人的関心から集めた事実が蓄積するに従い、深井良の記録を残したいという願いが湧き上がっていった。特別攻撃隊という人間の歴史で最も残酷な使命を負い、人間が耐えうる頂点の精神的苦痛を味わい、国を守る決意をした事実が、人々の記憶から消える事で何の意味もない事になってしまう事を恐れた。

特攻が自発的か命令か、能動的行為か受動的行為か、という議論もあるが、皆最終的には日本の国土と日本人を守るという決意をして飛び立っていった。私はこの心情を無駄死とか馬鹿げた事と思う事ができない。特攻は人類史上最悪の作戦だが、特攻隊員達は気高く、尊い。テロリズムの自爆攻撃は、死後の自分に対する報酬を期待しているという点で特攻と似て非なるものだ。

伯父については、なにわ会他のご協力のもと、「第九銀河隊指揮官 深井良」(元就出版社)を2006年に上梓した。出版後もいくつかの貴重な事実を知りえたので、なにわ会最後の会報にと思い纏めてみた。

この本の中で、伯父は海軍兵学校で上級生から鉄拳制裁を受け、また下級生に行ったようだと書いた。しかし一号時(最上級学年)同分隊であった旭氏から次のお手紙を受け取り、事実を知った。

 

平成十九年三月一日                    深井 紳一様

旭 輝雄拝

思い出

昭和171125日頃、3学年の編成替が発表され、深井兄と一緒の第21分隊のメンバーと成りました。

一号の分隊員は写真の10名でした。

卒業アルバムの分隊写真.jpg

 後列左より 田尻博男、大野嘉秋沼田寛三 倉本恒治、小笠原典麿

前列左より 山田富三、旭 輝雄宮地栄一、深井 良、関根利彦

自習室、寝室の整備を終え、12月1日に入校してくる74期三号生徒の教育方針について、一号10名が夫々意見を述べた時、深井良兄は紳士的であり鉄拳の修正は行なわないと発言され、貴公子の如く感じました。宮地と私は分隊の規律を三号生徒に知らしめる為、鉄拳制裁で鍛えると話し、事実獰猛な一号生徒と評判されたのです。

井上校長の「海軍士官である前に紳士であれ」のモットウは良く御説教の時に使われていました。三号生徒に対して御説教をするとき「貴様等それでも紳士なのか」という文句は良く使って居た様に思われます。また、割合に寡黙でした率先垂範が彼の意思であったと思い出すと共に水泳係りとして鍛えられる時も文句を言わず二号、三号の先頭に立って指導された事を思い出します。

良兄は戦闘に関する情報を何処からか入手し、一号に話して呉れた事も思い出の一つです。ニュースソースに付いては不問でした。

一号10名の中、私一人が生存して居りますので問い合わせる者もなく一寸考え込んで居りますが、60余年経って居りますので、其のうちボツボツと思い出せば御連絡致します、三号にも尋ねて見る所存です。

本日は少しばかりで相すみませんが宜しく御願い致します。     敬具

 

兵学校での鉄拳制裁については、賛否両論があるが、良は分隊監事に対し鉄拳制裁に関する意見具申をしていたという話を2007年のなにわ会靖國慰霊祭懇親会でどなたかから聞いたのだが、再確認できていない。

この他深井良についてのコメントは次の通りです。

篠原茂雄氏(横須賀中学の同級生で良が級長の時の副級長)

「〜平坂下のお宅をお訪ねしたこともありました。同級生の名前と顔が判らなくなった者が多い中で、彼の事は良く覚えています。頬が赤く目の大きな童顔を思い出します。」

 東條重道氏(艦爆で霞空から宇佐空まで一緒だった72期生)

「一言でいうなら、ものにこだわらない良い男、好漢、であった。」 

東條夫人

「海軍の町横須賀のスマートな雰囲気を持った」という形容を頂き「おもてになったと思いますよ。」

 山田良彦氏(艦爆で霞空、百里空を一緒した72期生」

「艦爆仲間ではナイスボーイと呼んでいた。」

 溝井 清氏(72期生)

「兵学校で「良」と呼んでいた。深井君は本当にカッコ良かったな。」

八巻淑博氏(横中同級生で本人が予備学生、少尉の時に横須賀で帰省中の良に会った)

「横中5年の時初めて同じクラスになりましたが、なかなかのハンサムボーイであったので女性にもてるタイプであったと思っております。」

「今、百里原にいると言ってとても張り切っている様子であった。」、

「中学の時に何かの行事で、お菓子を買いに行く者を決めるあみだ籤に当たり、(恥ずかしいのか)真っ赤になって買いに行った事を覚えている。」

  八巻夫人(深井家の養子となった良の祖父がいた川嶋家の方)

「良ちゃん 良ちゃん、と呼んでいた。」

 横須賀「文具のカワシマ」ご当主

「良の母は近所で、おタケさんと呼ばれ皆に親しまれていた。」

 古谷(旧姓小泉)栄子氏(良の従妹)

「立派な海軍さんで、子供心に偉い人なんだと思っていました。今思うと俳優みたいでした。」

小泉正幸氏(従弟)

「〜子供達で遊んだ海の事、中心にいたのは何時も良ちゃんでした。」

 角田恵美子(良の妹)

楠葉高等女学校(現聖和学院)に通学した時に、逗子駅まで同行してもらう途中、行き交う軍人達が濃紺の第一種軍装の良に「その場で直立し、ビシッと敬礼し、とても誇らしく思った。」

 深井 利男(良の弟)

幼いころ飼い犬の糞の始末を渋った事に対し、良が「人の手は洗えば元通りきれいになるんだ」と手でじかに糞を始末し、正に海軍で言う「率先垂範」を目の当たりにしている。しかし猿島で兄達が捕らえた魚をうっかり逃がしてしまったような失敗に対しては全く叱られなかったと言う。 

また利男も恵美子も整理整頓の習慣を良に躾けられたと述懐している。

 本の読者の新井氏

「実は表紙につられて購入しました。こんな海軍さんがいたらついていってしまいそう」

 古小路裕氏(k406飛行隊付第九銀河隊 健在・大阪在住)

鈴木暸五郎氏(762航空隊K501飛行隊長)

壱岐春記氏(k406飛行隊長海兵62期、少佐)

ともに、良がK501に在籍した期間が49日とあまりに短く、その上出水空、第二美保空など移動していたため良に関してのご記憶が無い。しかし特攻命令を受けた時の良の様子を調べていて、鈴木飛行隊長も壱岐飛行隊長も特攻命令に関知せず、逆に特攻より昼間攻撃を強く支持し、五航艦(宇垣纏司令)から直接、機密電092315が発令されている事が判った。

なお、本の中に間違いがあるのでこの場で訂正させて頂きます。

64頁 俳優藤田誠氏の御尊兄が陸軍少年飛行兵という記述があるが、錯誤。同氏事務所にお詫びと訂正をしました。

西暦表記の、原稿で下二桁だけの部分に上二桁が校正時に加えられた際、千年と二千年が取り違えられた箇所があります。

76頁 島根県は鳥取県の誤り。

94頁 800キロの爆装としましたが、実際は銀河の爆装設計1000キロをはるかに超える1600キロの爆弾を装着していた事が分かりました。特攻機も銀河を夜間戦闘機極光に改修したものを再び爆装できる銀河に再改修した銀河である可能性があります。掲載写真の撮影場所に関するキャプションは不正確なものがあります。

145頁 明治神宮は横須賀の諏訪神社です。お詫びして訂正致します。

なにわ会の皆様、有り難うございました。