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002号

平成21年9月 なにわ会歩こう会記

上野 三郎

平成21 917日に「人形の家」、「山下公園」「大桟橋」への歩こう会に参加した。久し振りの歩こう会、幸い快い日和に恵まれ(最高気温26c)、常連の10名(男女各 5名)が参加、大いにリフレッシュされた。

桜木町駅に1000集合、1500解散、歩行数7,500歩(快い疲労感)。

 

@ 「人形の家」

 「青い目の人形」に迎えられて入場。

 1986年に開場、140ヶ国より13,000体の人形が陳列されている。一つ一つ見ごたえがあった。 

A マリンタワー

1958年に横浜開港100周年記念事業として建設、高さは106m(展望台91m) 展望台よりの眺望抜群。

B 大桟橋

 2002年にリニューアルオープンされた、斬新な構造の空間で、船の甲板を感じる板のデッキの感触は懐かしい。 長さ400メートルの埠頭は流石に長い.
 

C 集合写真   

下公園をバックにして   左より

加藤、小松崎、深尾、藤井、品川さん、幸田、高田、深尾、中井、上野

    


横浜港をバックにして
  
前列左より小松崎、藤井、深尾各夫人 後列左より中井、深尾、幸田、高田、品川夫人、加藤夫人、上野

 

平成21年なにわ会忘年歩こう会の記

上野 三郎

 

幸田正仁君の肝入で継続されている歩こう会も12月は忘年会を兼ねての一泊旅行となった。

期日 12 3日(1430JR真鶴駅集合)〜12 4日(昼食後解散)

場所 真鶴半島 一望閣宿泊

123日は生憎の小雨に悩まされたが、翌4日は快晴に恵まれ,気温も15℃を上回り、この時機には珍しい快適な散策を楽しんだ。

参加者 14名(男子、女子各 7名)

@  一望館での忘年会

大風呂で疲れを癒やし、1800より開宴

参加者 上野、中井、浦本、椎原、深尾、幸田、高田の諸氏

加藤、深尾、小松崎、品川、中井、村上、藤井の諸夫人

 新鮮な海の幸をゆったりと味わいながら、積もる話に時間の経つのを忘れ歓談、続いてカラオケで美声をきそった。

中締めは
2030

A   一望閣近辺は海軍村と言われた所だった。

翌朝会長の説明によれば、戦争終末期鈴木貫太郎閣下以下の幹部の方々がここの別荘に秘密裏に集まり秘策を練った。また、近くに海軍通信部隊の養成所があり、地の利を利用し通信用のアンテナも建設されていた。

大和の設計責任者の造船中将(名前は失念)の別荘もあったと聞かされ、真鶴半島は単なる半島でなく戦争に関わった歴史的価値あるところと再認識した。出発前会長の案内で三木武夫の別荘地あと、鈴木貫太郎の別荘あと等を散策し先人の息吹を感じた。

  

旅姿を整え出発前にホテル前で記念撮影

B 真鶴半島観光

A、(つる)が羽を拡げたような形の雄大な景観

B.魚貝類の宝庫としての真鶴海岸漁場

C.源氏ゆかりの名所、史跡

D.中川一政美術館、与謝野晶子の歌碑と文化財

等区分されるがとても半日ではカバーできなかった。

真鶴の模型

これが真鶴の地名の起こりだと言われている。茶色の部分は干潮時に現れ、満潮時は青色部分が残る。青色の部分は豊な原始林で松、(くすのき)(しい)の常緑樹の巨木(樹齢300年以上)が繁り、地表にはシダ類がカバーしている。この環境が魚を集め、育てる場として有効に役目を果たしており、豊富な漁場が存在する所以である。

  

貴船神社

 貴船神社 寛永元年(889年)創建 日本三大船祭りの一つとして有名。境内にはその情況を示す模型が展示されている。

しとどの(あな)

 源頼朝が石橋山の合戦で敗れ、追つ手から逃れ一時身を隠したとして有名な所。その後頼朝は再起を図るため、ここから房総へ渡った。

今までは東海道線の通過駅としてしか認識して来なかったが、新鮮な海の幸は勿論の事、歴史的にも文化的にも自然環境的にも魅力的な地区との認識を新たにした。再度の訪問を実現したい。