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001号

平成21年3月 なにわ会歩こう会記

 上野 三郎

  平成2135日の「本牧市民公園八聖殿郷土館」、「三渓園」への歩こう会に参加した。この頃は気圧配置が冬から春への変換期に当たり安定しない天気の続く時機であったが、丁度晴天に恵まれ、最高気温も12℃と心地よい歩こう会日和であった。

根岸駅に1030集合、(男子4名、女子6名)1530解散、歩行数6,500歩。

バスでて「本牧市民公園前」下車、市民公園の中を100段余りの石階段を登り資料館へ。

@「本牧市民公園八聖殿郷土館」   

熊本県出身の安達謙蔵が建立、横浜に寄贈され、市民に郷土の歴史を伝える資料館として、昭和48年に開館、幕末から明治にかけての本牧、根岸の写真や当時つかわれていた農具や漁具を中心に展示しており、興味深い。

Fには此の建物の名前の起源となった八聖人(聖徳太子、弘法大師、親鸞、日蓮、釈迦、孔子、ソクラテス、キリスト)の彫像が飾られている。

資料館を出て歩くこと15分、三渓園の入り口に到着。

A 三渓園

シニア入園料300円を払い入園、観梅が目的であったが時機を失した恨みがした。三々五々群れの中に入る。大池越えに聳える旧燈明寺三重塔(京都より移設)の眺めは流石圧巻だ。普通の公園ぐらいと侮っていたが、総てが本物だ。概要を簡単にパンフレットより抜粋紹介して置こう。

1、生糸貿易により財をなした実業家原三渓(1868(慶応4)1936(昭和14))の手により完成、昭和28年横浜市に寄贈、財団法人三渓園保勝会により復興保全されている。広さは175,000uに及ぶ。

2、外苑部分は1906(明治39)に公開、京都、鎌倉等から移築された歴史的に価値の高い建造物を巧みに配置。

3、内苑部分は1958年(昭和33年)公開、原家の私邸であった。古建築で構成された瀟洒な庭の造りが立派。

4、重要文化財10棟、横浜市指定文化財3棟 此れだけの収集はたいしたものだ。

 5、原三渓存命中は新進芸術家育成支援の場でもあった。近代日本画を代表する幾多の作品が園内から生まれており、芸術的雰囲気がプンプンみなぎっている。

初音茶屋で一服。此の茶釜は昭和になって掘り出された骨董物、一斗一升の容量がある。  

三渓記念館では原三渓の業績やゆかりの美術品に触れ、又原三渓の住いであり交流のあった文化人の出入した鶴翔閣では志村立美の美人画展の展示物を拝観した。

三渓園の散策を通じて歴史的に価値の高い建造物を、又多くの芸術品を此の地に凝縮した偉大なる実業家原三渓に改めて尊敬の念を捧げる。もう一度ゆっくりと訪れたい。 

参加者 高田、幸田、深尾夫人、小松崎夫人、伊藤夫人、深尾、品川夫人、加藤夫人、上野(他に村上(69)夫人)

平成21年4月 なにわ会歩こう会記

桜の「小田原城址公園」散策

上野 三郎

 

42日(木)11:00JR小田原に集合し、城址公園に向かう。

今年は桜の開花宣言が例年より1週間以上早かったものの、その後寒気がぶり返し、桜の

蕾も萎縮したままだったが、今日は快晴に恵まれ16℃まで温度が上がり、絶好のお花見となった。参加者は合計11名(男性7名、女性4名)で、嘗ての美男、美女の一集団だった。

天守を巡り、14:30散会、本日の歩行距離5,470歩、満開の桜を満喫してのいい散策だった。     

小田原城は1417土肥氏の一族小早川氏が初めて築城し、その後1495伊勢新九郎(北条早雲)が居城とし、1590豊臣秀吉の石垣山一夜城による攻勢の中で開城するまでの、北条5代、95年の長きにわたる間、難攻不落を保っていた。その後徳川家の支配するところとなり、色々手を加えられながら、最終昭和35年の大改修で現在の姿になった様だ。

古い松の木と共にこの天守が戦国の昔を語るような気がする。 

本日参加者

窪添、幸田、中井、椎原の諸氏、小松崎、加藤、品川、深尾の諸夫人、深尾、浦本、上野の諸氏